うっとおしい梅雨が明け7月がやってくると、
京都では祇園祭が始まります。
湿気をおびた空気、人々の熱気、
お囃子の音、賑わう宵山、絢爛豪華な山鉾の巡行、
京都の夏が今年もやってきます。
京都の祇園祭は、大阪の「天神祭り」、東京の「神田祭」と並び、
日本三大祭りの一つに挙げられます。
また、春の「葵祭」、秋の「時代祭」と共に、
京都三大祭りの一つでもあります。
その歴史は平安時代から1100年以上にもなります。
途中、世の中の諸事情や感染症などにより、
途絶えたこともありましたが、
幾多の困難を乗り越え、伝統は連綿と受け継がれ、
祭りは続いてきました。
今回は、祇園祭の起源についてのお話です。
祇園祭のことをより深く知ることで、
祭りがより楽しくなれば、幸いです。
祇園祭についてもっと知りたい方は、
こちらの記事も参考にしてください↓
祇園祭の前祭と後祭の違いって何?京都人が教える祇園祭の見どころ
目次
祇園祭はいつから始まった?
起源を知ると祭りの意味が分かる
始まり
時代背景
平安時代初期、863年(貞観5年)京都では疫病が流行し、
その後の年も疫病の流行が続きました。
当時の京都は6月の梅雨時期などは衛生状態も悪く、
気温や湿度も上昇し、疫病などが流行りやすい状態だったと
されています。
ただ、当時の人々にはそんなことは分かるはずもなく、
疫病が流行するのは、現世に恨みを残して死んだ人たちの
怨霊の祟りだと考えていました。
また、864年(貞観6年)からは富士山の大噴火が起こり、
869年(貞観11年)には陸奥で貞観地震という
巨大な地震が起き、津波により大勢の犠牲者が出ました。
マグニチュード8以上であったとされています。
このような度重なる社会の不安があって、
御霊会(ごりょうえ)が行われるようになりました。
祇園祭の起源
御霊会(ごりょうえ)とは
神仏習合の時代、つまり神様と仏様を一緒にお祭りしていた時代、
八坂神社は比叡山に属していて祇園社と呼ばれていました。
祇園社の祭神は仏教の聖地である祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)です。
牛頭天王は薬師如来の化身で怨霊や疫神を鎮める神様です。
御霊会は牛頭天王を祀り疫神や死者の怨霊を鎮めるために行われる祭りです。
その後、明治維新の神仏分離令により「祇園社」が「八坂神社」となり、
祭礼名も仏教色を排除するために「祇園御霊会」から「祇園祭」に変更されました。
参考:Wikipedia サイト: Wikipedia/祇園祭
平安時代初期、863年(貞観5年)、
疫神や怨霊を鎮めなだめるために、朝廷の命により、
京都の神泉苑で初めての御霊会が行われました。
その後も、疫病の流行や富士山の噴火、貞観地震などが続き、
869年(貞観11年)、京都の神泉苑で、
全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、
その矛に諸国の悪霊を移し宿らせ、神輿3基を送り牛頭天王を祀り、
祇園御霊会を行われました。
この時の祇園御霊会が祇園祭の起源とされています。
この時の矛が「山鉾」の由来とされています。
祇園祭はいつから始まった?
起源を知ると祭りの意味が分かる
山鉾巡行はいつから?
祇園御霊会は始まった時代から現在まで、
祇園社(八坂神社)の神輿渡御を中心とするお祭りです。
その神輿渡御の前に、神輿が通る道の疫神を祓い清めるために
行われるのが山鉾巡行なのですが、
この山鉾巡行が行われるようになった時期は
はっきりとは分かっていません。
鎌倉時代末期の記述に鉾と周りを取り囲む町衆が
書かれているそうです。
その後、町衆はどんどん積極的に祭りに関わるように
なっていきました。
室町時代になると、山鉾も徐々に豪華になり巨大化していきました。
祇園祭の山と鉾の違いや歴史については、
こちらの記事をご覧ください。↓
祇園祭の山と鉾の違いは大きさじゃない!歴史を感じるその違いとは?
以上、今回は、祇園祭の起源についてお話ししました。
室町諭